トーク 「シェイクスピア作品を演出されて〜シェイクスピア作品を演出して〜」
講師: 山崎 清介氏(子供のためのシェイクスピアカンパニー・ 脚本・演出・俳優)
聞き手: 冬木 ひろみ氏(早稲田大学文学部)
講演「シェイクスピアとイスラム世界」
講師: 勝山 貴之氏(同志社大学教授)
トーク「シェイクスピアを演出されて〜シェイクスピアを演出して」
講師:山崎 清介氏(聞き手: 冬木ひろみ)
<文中敬称略>
冬木: それでは、山崎清介さんにお話を伺っていきたいと思います。山崎さんは福岡大学ですでに演劇をやっていらしたということですが、大学のころからやはり演劇がかなりお好きでらしたのでしょうか。
山崎: いや、演劇は好きではありませんでした。先日亡くなった萩原健一さんに本当に高校の頃憧れて、たくさん彼の芝居から高校生の頃、精神的にいろんなものをもらったんですね。そのときに、僕は社会人になったときに、もらうんじゃなくて与えるほうに回りたいなって思ったのが、俳優になるきっかけで、役者になろうと思いました。それで僕福岡ですけど、福岡ではそういう養成所なんか当時はありませんでしたから、やはり東京の劇団の養成所に入ろうと思いました。
冬木: そうですか、じゃあそこではまだシェイクスピアはやってらっしゃらなかったのですね。
山崎: 全くやってないです。
冬木: そうでしたか。その後青年座に入られて、いろんな実践を積まれたのですが、先ほどご紹介で申し上げた「ひらけ!ポンキッキ」に入られたいきさつですについて、お教えいただけますか?
山崎: 「ひらけ!ポンキッキ」っていうのは、僕1度も見たことがありませんでした。そこでハセさんとパンチョさんが番組を卒業というか、替わるのでということでオーディションがあったんですね。オーディション受けて、受かったので、それが29の頃でしたから、それであの番組に6年間出させていただくような形になりました。
冬木: その番組はそもそも子どものためだったわけですよね。その後時間の経過や紆余曲折もあったのかもしれないのですが、「子どものためのシェイクスピア」を最終的にはやられることになった際に、何かポンキッキから影響受けた、役立ったということはありますか?
山崎: 僕ポンキッキやってる頃は、まだ演出をやるっていう考えは全く頭になかったんですけども、演出をやるっていうときになって、あらためてそのポンキッキのことを考えたときに、いい意味でポンキッキっていう番組が反面教師になりましたね。というのは、いつもはスタジオ収録なんですけど、夏にツアーといいまして、ガチャピン、ムックと一緒に、お姉さんたちもいろんな各地を、舞台を回っていくんですね。とにかくやっぱりガチャピン、ムックが上手、下手の袖から出てくると、それが1番盛り上がるんですよ。そこでピークなんですよ。お子さまのピーク。そのピークを維持したいから、舞台の上から番組で使われている曲であるとか、ストーリーは簡単なものだけど分かりやすいストーリーを交えて、とにかく番組で使っている曲、歌、それから今まで使ってた曲っていうのを、これでもか、これでもかとものすごいサービスをするんですよ、子どもたちに。やっぱり子どもたちにいい思い出をつくりたいから、サービス、サービスなんですけれども、自分が演出するときっていうのは、そんなサービスなんかできないじゃないですか、シェイクスピアで。そこでどういうサービスをすればいいのかなっていうことは考えどころになって、僕はこうなってる子どもの背中を前のめりにさせたいなって思ったのが、いい意味での反面教師でした。
冬木: 反面教師ってすごく印象深いですね、子どもってすごく感受性は強いですし、大人が思っている以上に感じ取っていることが多々あるような気がしますので、あまり与え過ぎてしまうと、それだけの枠で終わってしまって想像力が出ないというか、補うことができないで受け止めるだけになってしまうのだと思います。
山崎: そうだと思います。全然話は違うんですけれど、僕のじいちゃんが日本画家の絵描きだったんですよね。そのじいちゃんが僕が4、5歳の頃に描いた絵を、ずっと大切に飾ってたんですよ。「じいちゃん、なんでこんな下手くそな僕の絵を、ずっと大切に持ってるんですか」って聞いたときに、「こういう絵は俺の年になったら描けない」って言いました。そこが先生がおっしゃった感受性だけで描いてるっていうことなんでしょう。だから絵の中では、雨が降って、傘を持ってるんですよね。人なんか丸で、あと線なんです。線画なんですけど、その傘を持つ手っていうのが描けないから、右手が伸びて、傘のこういうところにくるくるくると巻いちゃった絵だったんですよ。そういう表現しかできないっていうか。自分が傘を持ってるっていう一つの表現だったんですけど、じいちゃんは子どもが描くような絵を描きたいんだけど、もうそれは無理なんだっていうふうに言ってたんですよね。それがすごく印象に残って。
冬木: とても心に響くお話ですね。山崎さんはこの後、東京グローブ座というところのカンパニーに入られるのですが、当時のグローブ座は海外の名だたる劇団がやってきまして、ロイヤル・シェイクスピア劇団も、若き頃のケネス・ブラナーも公演をしたりと、そうそうたる面々がやってきた一種の黄金期だったような気がいたします。ですが、それがだんだんと縮小し最終的には身売りすることになったのですが、まだ黄金期だった1991年にグローブ座カンパニーというのができます。ここではまだ「子どものための」とは銘打ってなかったと思いますが、そこに山崎さんが参加なさったのはどなたから誘われたのでしょうか?
山崎: そうです、誘われました。僕青年座の養成所に同期で上杉祥三という役者さんがいまして、その後に遊眠社に入り、それが自分でBROKENシリーズの『ハムレット』『ロミオとジュリエット』『マクベス』なんかをやった彼が、グローブ座で劇団ではないんだけれども、グローブ座カンパニーという名前でプロデュース公演をこれから行っていく、上杉も誘われてるんで一緒にどうだっていうふうにお誘いいただきました。それで参加した形になります。
冬木: グローブ座での舞台に参加なさった一番初めは、ジーパンとTシャツの何もない舞台から始まった、若手を中心としたシェイクスピア・シアター主宰の出口典雄さんが演出なさったと伺いましたが、その演出はどんな感じでしたか?
山崎: 僕が青年座の養成所の頃に、『恋の骨折り損』っていう芝居を発表会でやりました。それ以降は全くシェイクスピアに関わることがなかったんで、初めてそこで出口さんの演出を受けたわけです。しかもシェイクスピア・シアターはまだありますし、出口さんもご健在ですし、唯一日本の演出家の中で37本演出をされている出口さんですよね。出口さんが37本をやるっていうことで、小田島先生がその翻訳をなさったっていうことですから。出口さんに初めて演出をされて、とにかくやっぱり言葉重視でした。出口さん自体は文学座の出身の方なので、やっぱり本当の言葉重視でした。基本的に出口さんは、演出するときに目をつぶってるんですよ。こんな感じで。耳で演出してるって感じでした。僕出口さん初めてだったから、こう耳で聞いて演出してて、だんだん手をトントンって小刻みに打つようになるんですよ。シェイクスピア・シアターの人に、出口さんどうしたの、演出家どうしたのって聞くと、せりふのテンポが違うときにああやるんだっていうふうに教えていただきました。だから、耳で聞いてるときに、自分の欲しいテンポと違うときに、違う、違う、違う。だからコンダクターみたいに、そこがテンポが違うんだ、テンポが違うんだっていうんですね。声を出してはおっしゃらないのですけれど。本当にせりふを耳で演出なさる方だなっていうイメージと、大体は僕らお芝居をやるときには、上演台本という形で一つ印刷所に出して、A4ぐらいかな、そういう台本作るんですけど、出口さんの場合は台本を本屋に行って買ってこいと。小田島先生のこういうシェイクスピアの本を、おまえら買ってこいと。これが台本でした。買いました。印刷するんじゃなくて、それぞれが買ってくるということで、それで買いにいきましたね。
冬木: ということは、ほとんどテキストレジーもなく、そのままなのですね。
山崎: 基本的にはまずカットしませんでしたね。
冬木: 出口さんとはたびたびお会いするのですが、去年もちょっとお会いしたときに、日本語でブランクヴァースにあたるような、リズムのある日本語で伝える術はないのかっていうことを盛んに言っていらしたので、生涯それを追求なさってゆく方なのだと思います。
その後のことをもう少し伺いたいのですが、やはりグローブ座で海外の演出家の方が演出なさった舞台に山崎さんもお出になったわけですが、まずはペーター・ストルマーレさんからいきましょうか。どのような演出で、どんな感触でしたか?
山崎: 4本出口典雄さんに演出をしていただいて、大体2本立てがその頃グローブ座で続いていまして、次の2本立ては『ロミオとジュリエット』と『夏の夜の夢』をやるっていう話になりまして、演出はそれぞれ違うと言うことでした。『ロミオとジュリエット』は文学座の西川信廣さんにやっていただいて、『夏の夜の夢』はペーター・ストルマーレっていうスウェーデン王立劇場出身の俳優、役者さんなんですけど、その人にやってもらうっていう形になりました。稽古入る前に来日して、お会いしましたが、190cmぐらいあるすごく大きな方だったんですけど、それまでにスウェーデンの王立劇場で、グローブ座で『ハムレット』のハムレット役で公演をしていたようです。
ストルマーレさんは英語は片言なんですけど英語でお話ししました。だからちょうどいい感じで、僕らも英語そんなに詳しくないから、意外と英語で通じ合ったりしました。面白かったですね、文化が違うと。北欧の辺りですから、バイキングの国なので、全て肉食ってるみたいなところがあります。どんな『夏の夜の夢』のイメージかっていうと、肉が好きだっていうような『夏の夜の夢』なんですね。
そういうふうに外国の演出家の方は初めてだったので、当然ですけど、本読みをしません。日本語分からないから。いきなり稽古入りましょうって、立ちに入りますよっていうんです。いきなり立ちですよ。それで面白かったのが、『夏の夜の夢』ですから、妖精チームと職人チームと恋人たちっていう、三つあるんですが、それで稽古に入ると、今日は職人チームからやるから、恋人チームと妖精チームの役者は帰ってくれという。
冬木: 帰っちゃっていいんですか?
山崎: 「帰れ、帰れ」、「いてもいいですか」、「いや、駄目だ、帰れ」って言う。「何が楽しいんだ、稽古場にいて」って言う。「自分が稽古しないのに、何が楽しいんだ。自分の時間も大事にしろ、だから帰れ」って言われまして。僕は妖精チームだったんですけど、恋人たちがどういう芝居をやっているのか、職人たちがどういう芝居をやっているのかっていうのは、通し稽古まで分からなかったんですよ。それもあってすごい衝撃だったんですけど。
僕は妖精チームですけど、オーベロンとシーシウス(人間の公爵)をやらせていただいたんですけど、ストルマーレさんから、「お前たち、日本人が持ってる妖精のイメージはなんだ」って聞かれたんですよね。「僕が持ってる妖精のイメージは、こんなにちっちゃくて、チュチュみたいなの履いて、背中に翼が生えてるやつ」って言ったら、なんだ、それはって。日本人はみんなそう思ってるのかって。大体そうだと思いますよっていう感じなんですよ。
冬木: ピーターパンのティンカーベルとか。
山崎: そう、そんな感じ、かわいらしいっていう。「俺の妖精のイメージ違うんだ」って。「どんなイメージだ?」、「スウェーデンの森の中に確かに妖精がいるんだ」って言うんですよ。どんな感じなのかって聞いたら、グロテスクだって言うんですよね。グロテスクって。森の中に住むグロテスクな生き物って、それが妖精なんだって言うんです。それでうち帰って、森の中に住むグロテスクなものっていったら、ゲゲゲの鬼太郎の中に出てくる妖怪なのかなと思ったんです。そういうマンガを持って行って見せたんですよ、ペーターに。そうしたら、「これなんだ、私が言いたいのは、やりたい妖精はこれなんだ」って言うんですよ。妖怪かっていう。彼はやっぱり日本の文化がすごく好きだったから、場所も暗がりにしてほしいと言われて、暗がりにして、頭を剃ってほしいって言われました。そしたら、剃るのはまずいなって思ったんですけど、ともかく剃って、メークもやっぱりグロテスクなものになりましたね。隈取りみたいな、ああいう形にしてほしいっていうんです。着物と洋服が混ざり合ったようなコスチュームにしたんですけど、すごくその辺が彼がイメージしている『夏の夜の夢』だったかなって思います。
初めて通し稽古でその3チームが会って、よそのチームはどういうことやるのかって思ったときに、『夏の夜の夢』の恋人たちって、三色スミレの汁をたらされて、ほれ薬で女性を好きになるっていうことですよね。結局女性を好きになるのはいいんだけど、男同士が奪い合うっていう形のときに、そこは日本だったらちょっと笑いが起こるんですけど、全く笑いは必要ないわけです。要するに、1人の女を2人の男が取り合うっていう状況ですから、かなり荒々しいんですよ。激しい。しかも、ここで相手を、言ってみればなんていうのかな、トドとか、サイとか、そういう動物が雌を巡って闘うじゃないですか。強いほうを雌が受け入れるっていうか、まさにそういう状況だったんですよね。
スウェーデンでは夏至の夜は森の中で男女は無礼講なんだ、これはスウェーデンの伝統なんだっていうふうに教わりました。本当かっていう感じです。まさに『夏の夜の夢』の世界だなと思ったんですけど、彼の中での妖怪チームと、リアルな雌を巡るトドの闘いみたいなものとが一緒になっている。また、職人チームは全部和服だったんですね。和服っていうか、昔の昭和初期の頃のような、でっち奉公のような、そういうスタイルでやってましたね。彼としてはそういうスタイルの、ものすごく違う文化がとても好きだったんだと思うんです。だから、美空ひばりさんの曲だかと、琴の曲だとか、そういうのをどんどん取り入れてやってました。
冬木: 私も初演のとき拝見して、グロテスクという印象はありましたし、いろいろなものがごちゃ混ぜに入ってきてるというイメージはあったのですが、その違和感が異化効果になっていますよね。ストーリー仕立てをずっと見ていって、どの人物かに感情移入ができないようになっていて、劇を解体しているという感じがありました。今、山崎さんがグロテスクな妖精っておっしゃったのですが、パックも半神半獣のような感じでしたね。
山崎: そんな感じでした。パックっていうのは、半分が妖精で、半分が人間なんだっていうことにして、だからメークも二つに分けることにした。こっちに角が生えてて、こっち緑色で、そんなハーフいるかよっていう。めちゃくちゃ分かりやすいハーフでした。
冬木: ここで当時のシェイクスピアの時代に描かれたパック像、妖精像のことを思うと、今のかわいい日本の妖精っていうイメージとは違っていて、妖精って悪魔的なものだと見られていたようです。シェイクスピアの劇ではないですけど、その当時のパック(ロビン)というのが表紙になっている劇の版画がありますが、その図では角が生えていたり、下半身がヤギだったりしていますし、ヘンリー・フュースリーという18世紀末ころの人が描いたパックなんて、口が裂けてたりですとか、恐ろしいパック像になっています。今おっしゃってくださったようなヨーロッパのルーツの妖精って、日本のティンカーベルですとか、ああいうかわいいのとはちょっと違ったグロテスクなイメージ、魑魅魍魎の恐ろしいイメージっていうのがやっぱりあるのだろうと思います。
山崎: そうみたいですね。僕らの中に刷り込まれてるっていうか、妖精ってのはかわいく美しいっていう。
冬木: その魔界みたいものに取り込まれていくのですよね。
山崎: 緊縛の妖精っていますもんね。妖怪みたいな。
冬木: 妖怪に近いのかもしれないですけどね。そういう怪しげな夜っていうのが、夏至祭の夜だったようでして、イギリスのその頃の伝説では、その夜はやはり恋人たちにとっても無礼講の夜であったようです。あとは、超自然のもの、魑魅魍魎が出てきて当然だったのが、この6月24日の夏至祭の日の夜だったということらしいので、私はストルマーレさんの言ってらっしゃることは、本当は核心を突いてたのかなっていう気がします。
山崎: それ結構ヨーロッパにあることですか?
冬木: 多分そこからシェイクスピアの劇も発祥したので、『夏の夜の夢』などはとても面白い喜劇の筆頭で、どうやっても面白くできる劇だって言われますけれど、よく読むと結構グロテスクだったり、愛憎関係とか、放送禁止に近い言葉もかなりあったりします。
山崎: でも、お客さんは放送禁止用語喜ぶんですよ、絶対。そっちのほうがやっぱり見たいっていうか。
冬木: そうなんですよね。その逆のエネルギーがすごいと思うのですが、逆にストルマーレさんがそれを引き出されたのかなと、今伺いながら思っておりました。他の外国人の演出家の方で、この演出は面白かったとか、後から役に立ったとか、そういうのはありますでしょうか?
山崎: ジェラード・マーフィーさんという方がいらっしゃいまして、彼は『ヴェニスの商人』と『お気に召すまま』を演出してくださって、ロイヤルシェイクスピア・カンパニーに在籍してらっしゃった、アイルランド出身の俳優さんです。彼に最初に演出していただいたのが『ヴェニスの商人』ですが、彼のコンセプトが最終舞台稽古をそのまま舞台にしたいっていうことだったんですよ。ですから、稽古着なんですよね。稽古着で舞台上にずっと他の役者さんがいて、出番でない人はそこに座ってていい、お水も飲んでいいっていう状態で、出番になったらその舞台のほうに出てきてっていうことなんです。ですから、衣装もちゃんとしたコスチュームじゃなくて、本当に稽古場で使うような衣装で、それで進めていくっていうやり方です。舞台の明かり変化もまずなく、客電がつきっ放しなんですよ。能、狂言とか、お笑い、寄席とか、そういうのは客電つきっ放しですが、その状態でスタートして、4幕の裁判のシーンになってから、本当に気付かないぐらいにゆっくり客電が落ちていくっていう、そういう演出でした。
それで裁判のシーンで、最後に裁判所に集まって、バサーニオであるとか他のメンバーが、シャイロックをぼこぼこにするんですよ。最後はシャイロックが当然負けちゃうんだけど、負けてるのに、おりゃーっとぼこぼこにするんですよ。それでいたたまれなくなって、うわーって言いながら、自分の出番がなくなったら袖にやっと入れるんですけど、叫びながら入っていくっていうか。あれは自分の資産全て取られて、娘が違う宗教の男と結婚して、じゃあってなってくると、この町では生きていけないし、死ぬのかもしれないし、あれは喜劇ですから誰も死なないんですけど。その彼の後、その本に書かれている後っていうのは、もしかしたら彼の進む道はその町を出るのか、あるいは死ぬのかっていうことを予感させる芝居ですよね。日本人の立場から見たらどっから見てもキリスト教徒たちが悪いんですよ。それでジェラードさんに、「ジェラードさん、これはイギリスでもこの芝居やるんですか」って言ったら、「イギリスではできません」って言いました。じゃあ、なぜ日本?「極東だから」、そうおっしゃいましたね。はっきり言いました。「イギリスだと実はできません」。
冬木: 確か1990年以降、米ソ和解の後、民族・宗教の違いが新たに政治的・国家的な問題として表面化してきましたが、やはり『ヴェニスの商人』とか『オセロー』は宗教、民族問題が大きいので、舞台にするには難しい問題ではあると思うんです。実際この舞台を私も拝見しましたが、シャイロックの木場勝己さんに哀れみを感じざるを得ないという感じでした。マーフィーさんが本国ではやれないとおっしゃっていたというのは初めて聞きましたので、衝撃です。
山崎: はっきり言いました。これをやったら俺がぼこぼこにされるって、よっぼどですよ。精神的ダメージですね。殴られはしないだろうけど、なんだよ、あの演出はってたたかれる。
冬木: そう言われれば、シェイクスピアもシャイロックを最後の5幕は全く出さない、という書き方をしていますよね。最終的にはヴェニスという国が元の体勢に戻って、シャイロックという人物はヴェニスの周縁にあるものとして追い出されるわけです。ですので、最後は結婚物語で終わって、喜劇で落ち着くんですが、そのままだと劇が終わっても引きずっちゃうと言いますか、どうもちょっと悲劇に近いトーンが残るというところがあるように思います。そういう少々悲劇的な演出は例えば劇団四季でもありましたし、もちろんアル・パチーノの映画などでも、現代的な解釈により悲劇的シャイロック像が強く感じられます。
山崎: だから、アル・パチーノとかダスティン・ホフマンとか、マイノリティーな香りのする人がやっぱり多いですよね、シャイロックって。
冬木: そうですね。わかりました。その他の方、ロベール・ルパージュさん、レタラックさんのほうは、何かここが面白かったですということはありましたでしょうか?
山崎: ロベールさんはやっぱりカナダのケベック市の方だから、基本的にフランス語圏の方なんですよ。ちょうど彼がカナダから3本立てを持ってくるって言って、日本人チームは、彼は1日に2本稽古をやるって言うんですよ。大丈夫なの、体が。だから2本稽古するんで、朝9時から稽古を始めますって言って、大体朝9時から稽古が始める稽古場ってなかなかないんですよ。1週間になって、お願い、10時からにしてくれっていうお話で2本立てをやりました。
『テンペスト』と『マクベス』だったんですけど、面白かったのが、自分たちのチームも『マクベス』やるけれど、その『マクベス』はフランス語の古い翻訳の『マクベス』をやる。だから、日本チームでも古い翻訳の『マクベス』をやりたい。新しい小田島さんとかではないなら、坪内逍遙さんだって思うじゃないですか。そうしたら僕らが使った『マクベス』の台本は森鴎外だったんですよ。びっくりしました。森鴎外さんが『マクベス』を訳してるんだって。それでやりました。でも、ちょっとあの方紙一重の部分がありますから、いい意味ですよ。
冬木: 天才、ですね。
山崎: そう。だから日本チームは、うまく説明できないな。その舞台の1番前に、かみ・しも、上下、いろんなパネルを出してシャッターを作るっていうか、視界を遮るんですね。映像で言ったら窓の中で芝居をやるっていう感じです。すると今度は、この窓が縦長にずーっとなっていて、ここは見えない、こっから上(上半身)だけの芝居をやるっていうことになるんです。そのパネルをいろんな方向に動かし、動かしをやっての『マクベス』でした。だから、やってるほうがかなり制約があるかなっていう感じだったけど、きっと制約をつけるのが好きなんですね、彼は。3本のうち1本は彼の一人芝居だったんですけど、宙づりになってずっと芝居やってるんですよ。後ろにこういうものがあって、それがいろいろ映像が変わるんですよね。だから、自分にも課してるわけですよ。そういう自由に動けないものを。そういうのが好きなんだなっていう感じ。でも、やっぱりすごく紙一重の天才肌の感じがしました。
冬木: 限られた肉体、縛られた肉体の中から出される言葉とか、制限された中での凝縮された何かを狙ってたってことなんでしょうか。ルパージュさんは映像の魔術師のようなことを言われていて、そういう映像もよく映し出したりしながらやられていると思いますので、独特の幻想的でもあり、ちょっと特異な作り方ですよね。
山崎: すごく独特な。
冬木: せりふを少し変えている部分もあったかと思いますが、森鴎外までさかのぼるっていうのはちょっとすごいです。そういう古い日本語を使った場合の音とか言い方って、なんとなく英語圏の演出の方も分かる感じなんでしょうか?
山崎: それはどうですかね。そのときの『テンペスト』にしても『マクベス』にしても、主演が平幹二朗さんだったんです。平さんは蜷川さんでずっと『マクベス』をやってらっしゃいましたから、森鴎外の台本じゃないですか。ものすごいやりづらそうでしたね。だから、立ち稽古に入ったら、あれ、台本にない、せりふが違うと思ったら、やっぱり自分の中に体に染み込んでるせりふになっちゃったりとか、そういう思い出もありました。
ジョン・レタラックさんには『ロミオとジュリエット』を演出してもらったんですが、これほとんど素舞台で、打楽器奏者がいて、いろんな打楽器を入れていました。だから、音響は一切なしで、生の音だけです。僕らの持ち道具も全部マイムでやるっていう形にしました。そのとき僕はジュリエットの父親のキャピュレットをやったんですけど、ラストのシーンで、モンタギューとキャピュレットの和解をするシーンがあって、握手をするんですよね。僕がキャピュレット、ジュリエットの父親。ロミオの父親のモンタギューと最後は和解の言葉を言って握手をするんですけど、僕がジュリエットの父親だったら、絶対に許せないって演出家に言ったんですよ。お互い死んじゃってるし、こんなことがこの町に二度と起こらないように銅像だかを立てて、みたいなことで握手するんですよ。そんなばかなことあり得るかっていうか、絶対に和解をしたくない。だから、このせりふ言いたくないぐらいなんですっていうふうに、ジョンさんに言ったら、分かりました、じゃあ、一切和解をする気持ちがないまま、このせりふを言ってくださいっていうふうに言われました。そうかと。それだったらできるっていうか、人間口から出るものと、腹の中で考えてることってほとんど違います。意外と。それじゃないと生きていけないわけだから。そうか、外面では、はあって言いつつも、やっぱり腹ん中は違う。でも、絶対和解してないなっていうのは、お客さんにもやっぱり見せなきゃいけない。だから、絶対どこかでリアクションであるとか、そういうもので、俺は言葉はこう言ってるけど、絶対にモンタギュー家ロミオを許さないっていうふうに腹の中で思ってそのせりふを言うと、やっぱり芝居が変わってきますから、それならできるなっていうふうには思いましたね。
冬木: 私もそこ覚えています。幕切れで、悲劇の最終的カタルシスが宙に浮いて、何かこの後まだ不穏なものを引きずってしまうんだっていうような、悲劇の終わった後のその後っていうものを、どこかで感じさせる舞台でした。ロミオとジュリエットの若い2人のほうは死んで幸せそうな感じの、きれいな形で終わっていたように思うのですけども、それに反して、やはり2人を死なせた原因である両家の闘いは終わらないし、これが現実かもしれないって、すごく思わせてくれるような舞台だったと思います。それは山崎さんがおっしゃったことなのですね。和解はしたくないという。
山崎: 本当にこんなせりふ言いたくないって思っていましたから。ただ、やっぱりこれは演出家に言うしかないっていうか、言いたくないけど、言わなきゃいけないんだっていう、そのぐらい嫌だったんです。どういうふうにしてくれるのかと思って、言ってみたんですね。
冬木: その『ロミオとジュリエット』の続きで、今度はご本人の演出のほうのお話を伺っていきたいと思います。その演出のお話の前に、1995年ですが、グローブ座で日本人による「子供のためのシェイクスピア」シリーズの第1作目として、花組芝居の加納幸和さんが『ロミオとジュリエット』を演出なさった際に山崎さんも出演なさっています。実はグローブ座では、今お話しいただいた外国人の演出家も含めて、グローブ座カンパニーとしてシェイクスピア作品を上演するというシリーズでしたので、「子どものため」とは言ってなかったわけですよね。この1995年のときはグローブ座側から、子どもためのシリーズをやろうっていうような企画があったのでしょうか?
山崎: 当時の高萩宏さん、その後世田谷パブリックシアターのほうへ行かれて、今は東京芸術劇場、池袋の副制作部長やってらっしゃいますけども、その高萩さんから、今まで外国人の演出を受けてきてたのですが、グローブ座としての一つの企画を立てたいんだけれども、子どもにシェイクスピアを見せたい、そういう企画をつくりたいんだという相談を受けたんですね。それはきっと高萩さん、僕が「ひらけ!ポンキッキ」をやっていたからだろうなって、それは感じます。
冬木: 山崎さんのご活躍を見てということだろうと思いますが、それで加納さんなどと一緒にということになったわけですね。
山崎: その頃は本をどうするかってことがありましたから、「ひらけ!ポンキッキ」の構成作家でもあり、以前僕が青年座をやめてから芝居の台本作ってくれてました田中浩二君っていう方に構成台本お願いして、そこから演出は誰かっていうことで加納さんにっていうことになりました。
冬木: 最初はどうでしたか? 子どもためのと銘打ったわけですけれど。
山崎: その時は、子どもに見せるってことだけで、子どもためのっていう正式なタイトルついてなかったんですけど、僕はえーっていう感じでした。要するにえーっていうのは、ハードルが高いなって思ったんですよ。シェイクスピアの作品って、通常通りお客さまに見ていただくこともすごく、それだけでもハードルが高いと思ってたんですけど、それを子どもに見てもらうっていうことの企画っていう発想が、僕の中でそれ以上にハードルが高いなって思ったんですが、だったらやらしていただきますという形になりました。
冬木: 今、山崎さんがおっしゃったハードルというのは、子どものほうが純粋な感性があるという点や、シェイクスピアをわかってもらうということでの難しさでしょうか?
山崎: いえ、むしろどうやっていいのか方法論が分からないっていうハードルの高さです。どういうふうにつくればいいのかっていうことですね。
冬木: 実際、シェイクスピアの劇はせりふだけでト書きも極めて少ないですし、この人誰に向かって、どういうことを思って言っているせりふなのかがわかりにくいということが結構あります。また言っている内容がよくわからないままストーリーだけ見せても、きっと子どもはつまらないだろうと思います。ですが、山崎さんの演出では、全てわかるように、例えばシェイクスピア人形というのを使って説明してくれたり、せりふを何人かに分けて言ったりですとか、構成もテキストレジーもそうですけれど、大幅に変えて、でもしっかりシェイクスピアの劇のエッセンスを伝えていると思います。
さて、それでは演出のことを伺いたいと思います。最初に演出されたのが『十二夜』だと伺いましたが、初演出はいかがでしたか?
山崎: 演出をする前に、僕がずっと役者として思ってたことがありまして、シェイクスピアっていう作品を役者としてそこに参加した場合には、先ほどのペーター・ストルマーレは3チームに分けて稽古するんですけれど、大体一つの出番がちょこっとであろうが、ラストだけであろうが、とにかくおはようございますと言って稽古場に集まって、ずっと他の人たちの本読みからして、立ち稽古ってのを自分が出番がなくてもずっと出演者たちの芝居を見る、それ一つの稽古だっていう形でずっと進んでいく、それが稽古場なんです。これが本番に入りますと、よっぽどの役でない限りは、本番中は舞台にいるより、楽屋にいる時間のほうが長いんですよ。シェイクスピアに参加する役者っていうのは。僕はそれがすごく寂しくて。グローブ座っていうのは地下に楽屋があります。ですから、2階分階段を上って、初めて舞台に上がれるんですけども。地下の楽屋に下りて、自分の出番じゃないときは地下のモニターを見ながら、その芝居を見るっていう形になるんですけど、それがすごく僕の中では寂しいって感じがしたんですよ。
それと、ジェラードさんが演出をしてくださったときっていうのは、とにかく出演者は全員舞台の上にいて、出番のときにその役で、全ての登場が終わった段階で、初めて袖の中はけていくっていう。あのときってすごく自分が楽しくてうれしかったので、自分が演出するときは、幕が開いたら役者は絶対に楽屋に返さないっていう、そのコンセプトがあったんですね。どういうことかっていうと、どんな形であろうと舞台にいてもらう。それを考えると、一役だけじゃなくて、せいぜい二つはやらないとなっていうことがありました。それで全体の役者の数もタイトになりますから、これは出演料を抑えられるわけですよね、予算的な。それはいいぞと。
それから、基本的に黒いコートを着るというのことにしました。それは僕の中ではなんでもよかったんですけど、一応黒い、僕の中でまっくろくろすけっていうイメージなんですけどね。だから、黒子さんの役もできるし、一般市民の役もできるし、従者、召し使いの役もできる。その黒コートを着ていると、自分のコスチュームの上からそれを着るから、自分のその役柄が一つ消せる。そうするとどんな役でもできるっていうことになって、いろんな出番が増えてきますから、そこで舞台にいる時間、空間が長くできるというのがあります。
それと当時、高萩さんが「子どもに見せるっていうことで、楽器とかがあると楽しそうだね」ってにこにこしながら言ったんですよ。でも、役者が楽器を使うっていうのは、これはものすごく大変なんですよ。昔の自由劇場みたいに、本当にプロ級の腕を持ってる人たちならいいんですけども、ぽっと集まった人間たちがこれやりましょう、あれやりましょうって楽器をもし買ったとして、買う予算はどこにあるのか。それと楽器を練習するっていうことは、芝居なんかよりも100倍練習しなきゃ駄目です、やっぱりプロじゃないから。その稽古時間はどうつくるんだっていうことを考えたときに、一番安い楽器はクラップ(手拍子)だなって思ったから、これは買わなくてもいいぞと思ったので。リズムだけ覚えれば音階を覚えなくていいぞと思ったので、クラップっていう一つの方法も使えるなって思ったのがきっかけでしたね。
冬木: 初めて拝見したときはそれがとても新鮮でしたが、最初の時からだったでしょうか、11拍子という、ちょっとリズムが難しいやり方をしていらっしゃいますよね。
山崎: それは、ジャズギタリストのパット・メセニーっていう方がいらっしゃいまして、パット・メセニーの曲の中で「ファースト・サークル」っていう曲があるんですけど、その「ファースト・サークル」の曲の出だしがあのリズムなんですね。6拍子5拍子、合わせて11拍子のクラップです。
冬木: それを使っていらしたんですね。それが途中でも効果的ですし、場面を換えるのにも使えますし、何か起こったときにもちょうどそれが出てくると、舞台裏と舞台の上とが転換が完璧にできるので、すごいですよね。
山崎: 手拍子を打つときは舞台にいる人間だけじゃなくて、裏にいる人間もたたかなきゃいけないんですよ。ということは裏にいる人間が、耳で舞台で何が行われているかっていうのをずっと聞いてないと手拍子が打てないんで、とにかくお客さんから姿を消しても、表で何が起こっているのかっていうのを、ずっと意識できる状況にはなってます。それもある意味、一つのかせを掛けてるんですけどね。
冬木: でも秀逸なやり方で、場面交換もすごくスピーディーにできますし、何役もやった後、ぱっと黒いマントを脱いで他の役になるっていう、あの瞬間の変わり身もとても斬新で新鮮でしたね。あれもいい方法だと思いましたし、もう一つのすごいことがシェイクスピア人形ですね。これから『ロミオとジュリエット』の映像も一部見ていただこうと思いますが、あの人形は最初の加納さん演出のときからでしたか?
山崎: 加納さんのときからありました。僕らはいつも9人前後で芝居を作ってるんですけど、「子どものためのシェイクスピア」第1回目の『ロミオとジュリエット』は、花組さんの役者さんが数多く出ていただいて、大体一人一役で振ってた。だから15人ぐらいの登場人物で、僕はジュリエットの乳母役だったんですね。乳母役にはいつも乳母に付いているピーターっていうお付きがいるんです。ピーター役が誰にも振ることができなくて、そのときに加納さんが、だったら人形にしちゃえばって話があったんですよ。ピーターを人形にって、その人形を誰が動かすの、だって乳母のそばにいつもいるから、それ清介さんが動かすんじゃないのっていう、人ごとのように言うんですよ。動かすよ、動かせるけど、ピーターのせりふは誰が言えばいいのって言ったら、それは清介さんがやればいいんじゃないのって話になって。ちょっと待って、それは腹話術を俺にやれってことって、そういうことっていう話。そもそも腹話術やったこともないし、すごい緊張しました。
冬木: それから初めて腹話術を練習されたってことなのですね。
山崎: ピーターと乳母の会話が台本にありますから、そのときは自分がしゃべって、口を相手が動かしつつ、俺もしゃべんなきゃいけない、声色使ってしゃべって、ふーん、だから、言ったよ、こういうことさってみたいなことを、自分で一人芝居やらなきゃいけないわけです。『ロミオとジュリエット』のときって、まだ慣れてませんでした。緊張しっ放しでした。
冬木: 緊張なさっているようには全く見えなかったですが、非常にうまかった記憶はありますし、なんて面白いっていう感じでした。あのシェイクスピアの顔にしようっていうのは、どなたかが決められたのでしょうか?
山崎: そうですね。構成作家の田中浩二とも、人形にするんだったらシェイクスピアさんの顔にしませんかみたいな。
冬木: わかりました。ちょっとその実例といいますか、『ロミオとジュリエット』をどんなふうにやってらっしゃるか、今日は映像を少しだけ持ってきていただきましたので、ご覧いただきたいと思います。
<ここで映像>
冬木: ありがとうございました。構成としてもとても面白かったですし、薬が効き過ぎて最後の場面が終わっても目覚めないジュリエットというのもすごく衝撃的なラストだったなって、今思い返しても思います。
山崎: 本当はみんなが集まってきたときっていうのは、ロミオへの手紙の行き違いとかいろいろあって、ロミオのほうはもうジュリエットが死んだっていうことで、霊廟に舞い戻って、そこで薬屋で買った毒を飲んで死ぬ。まだみんなが集まる前に、ジュリエットが目覚めて、パリスもそこに死んでるんだけど、死んでるロミオを発見して、それでロミオの持ってる短剣でジュリエットも命を断って、そこに両家、それから公爵、太閤、それを全部説明するロレンス神父が来るんですけど、それが本当にオーソドックスなやり方で、オリビア・ハッセーさんの映画もそうでした。
レオナルド・デカプリオの『ロミオとジュリエット』って、もう完璧アメリカ版っていう感じで、銃どんぱちやって、あんまり参考になるとこないなと思いながらずっと見てて、でも最後がやっぱり衝撃的で、ロミオがジュリエットの元に戻って、ジュリエットが死んでってロミオが確認して、それでロミオがそこで薬を飲むんですよね。薬飲んで、うってなったところで、ジュリエットが目覚めて。だから、ジュリエットが目覚めて、生きてるジュリエットをロミオが見て、それで手遅れで死んじゃうっていう。だから、お互いが生きてるっていうのを確認し合った状況で死んでいく、死んでいくっていう形になって。あれはあれで、僕はそこがすごくショックだったんですよね。
ショックだったから、それをぱくるわけにはいかない。絶対ぱくりたくないんですよね、演出やってる上では。そうするとどうするかなって思ったときに、ジュリエットの薬があの時間じゃなくて全部もう、まず死んでる仮死状態だったら、ロレンス神父がいくらそういうことだっていうふうに言おうとしても、そんなおかしな話はないっていう。確かに死を確認して、お葬式もやって、それで霊廟に収めてるわけですから、そこにそばにロミオが死んでる、パリスも死んでる。でもこれはまだ、実はこうこうこうで、こうでこうでっていうことを説明、いくらロレンス神父がしたとしても、まだこれから生きるんだって、まだこれは死んでないっていうこと言っても、どうしたんだ、頭がおかしくなったのかっていう形で、連れていきなさいっていう話になる。だから、冒頭のところっていうのは、どうだった、あの神父はっていう、きょう見舞いにいったよみたいな感じで、要するに頭がおかしい人として拘束されてる状況にしたかったんです。
結局、それで人が離れていって、霊廟の重い扉が閉まるっていうことにして、その中でジュリエットが目覚めてっていう形にしようかなって思いついたんです。だから最後のほう、ちょっと入れ替えて、どこにも外に出ることができないジュリエットが、言ってみれば自分のイメージの中で、ロミオが呼んでるから、あとはもう自分もそうなって命を落として、ロミオの元に行こうっていう決意するって形取りました。
冬木: あの演出も非常に衝撃的というか、ストイックなジュリエットが哀れな感じがして、すごい舞台だったと思います。『ロミオとジュリエット』の際もそうですが、山崎さんのテキストはいろいろ書き換えられたり、構成を変えられたりすることが多いと思うのですが、終わり方が衝撃的なことがかなり何度もありました。特に今の『ロミオとジュリエット』のように終わり方が非常にユニークで衝撃的ということがありまして、例えば『リチャード三世』という極悪非道の王を描いた歴史劇がありますが、山崎さんの舞台では、シェイクスピア人形が常にリチャード三世に付き添い、その内面を語っているんですね。しかもリチャード三世の左手がシェイクスピア人形になっていて、極悪人みたいな感じで対話をするのですね。それが最後のところで、リチャードがやられて死にますよね。やっとリッチモンドが王ヘンリー七世になっていくのだというときに、今度はリッチモンドがその人形を右手で持って行って幕切れになるっていう不穏な感じで終わっていました。
『オセロー』でも、イアーゴーの心っていう名前でシェイクスピア人形が出ていて、やはりイアーゴーと対話している感じになっていましたが、最後の場面で、イアーゴーが「これから一言も言わないぞ」っていうのをシェイクスピア人形が確か言っていましたよね。その後、さらに衝撃的だったのが、自殺を多分ほのめかしていたと思うのですが、舞台上でイアーゴーが捕まった後、にやって笑って、裏舞台へ消えるとすぐに、音だけですが、ざぶんっていう海へ落ちる音がするんですね。自殺するイアーゴーを創ったんだっていう、これも非常に衝撃的でした。これからお話しいただきたい『ハムレット』もそうなんですが、最初と最後の構成にものすごくこだわって、考え抜いた演出をなさっているなあといつも感動しているんです。
山崎: ありがとうございます。『ハムレット』やるの難しかったですよね。それと『ハムレット』って独白って、1人でずっとしゃべっていくんですけど、その独白がものすごく多くて。1番やっぱり有名なのが、小田島先生の翻訳は、「このままでいいのか、いけないのか」って。福田恆存さんは「生か、死か」、とたくさんある中で、あの名ぜりふのいろんな日本語訳があるんですけども。やっぱりあそこの独白のところっていうのは僕の中でも、有名ですし印象に残ってるので、そのせりふからスタートしたいなって思いました。それで、最初の場面で黒子たちがそれを呪文のようにずっとしゃべっていくっていう形を取りました。
僕の中で『ハムレット』っていうのは、一つの復讐劇っていうことはもちろんあるんですけども、その中に大きい役ではないんですけれども、フォーティンブラスっていうノルウェーの王子様が出てきます。そのフォーティンブラスのお父さん、ノルウェー王っていうのは、ハムレットのお父さんと戦争して、殺されてるんですね。ですから、ハムレットよりもその前に父親が、戦争なんですけれども、ハムレットのクローディアスのお兄さんと一騎打ちをやって亡くなっている。その後に、今度はクローディアスに毒殺をされて、ハムレットのお父さんも亡くなる。その後半はレアティーズのお父さんポローニアスも死ぬ。だから、このハムレットとフォーティンブラスとレアティーズって、全員父親が殺されるっていうところでの三角形ができるんだなって思いました。
フォーティンブラスっていうのは最後、ハムレットが死ぬ間際に沈黙っていうその前に、孤独に私の地位譲り渡して、この国を守っていくのはフォーティンブラスっていうふうに最後言って、それで死ぬっていう形になっていて、それはものすごく怖いことだなって思うんですよね。隣の国、ノルウェーとデンマークはやっぱり戦争やってるわけです。戦争があったからこそ、フォーティンブラスのお父さんは、ハムレットのお父さんと一騎打ちで殺されたわけですから。要するに戦争相手の国の王子を、自分の国の王にする、この国を守ってくれるのはノルウェー王フォーティンブラスだっていうふうに言うっていうのは、それはへーじゃなくて、国民からするととんでもないことなんですよね。こんなこと言ったらちょっと不謹慎かもしれないけど、新しい年号になるんですけれども、もし日本のずっと続いてきた皇室といいますか、それがずっと続いてきたものっていうのが、もしかしてぱっとそれが途絶えちゃって、じゃあ、よその国の天皇さまをわが国も天皇さまにしますみたいなことと同じことになっちゃうので。だけどハムレットがそれを言うっていうことが、ある意味、フォーティンブラスっていう王子に彼の中ではリスペクトがあったので、そういうふうにこのデンマークという国を譲り受けるのは、ノルウェー王フォーティンブラスっていうことになったのだと思う。この国売りますみたいな感じなので、これは何気ないせりふなんですけど、すごく怖いせりふだなって思いました。だから最後にフォーティンブラスも出したいって思ったんです。一番最初にフォーティンブラスが出て、1人生き残ったホレイショーにどういうことがあったんだ、これはっていうことで語っていくっていうのと、ラストがこの国を任せられるのはフォーティンブラスっていうことで、フォーティンブラスって人もその場に出したいなって思いました。
冬木: ありがとうございました。フォーティンブラスって出番が少ないんですが重要で、ハムレットが理想としてたところがあるんだろうと思いますし、『ハムレット』ってものすごく政治劇なところもありまして、権力争いですよね、最初の状況からしても。最後に別の国の王子にこの国を譲ってしまうというラディカルな状況が、すーっとそのまま終わっちゃうとすれば、それはよく考えればすごく違和感のあると思いますが、それをちゃんと山崎さんが突いて、そこを舞台上に出すというのはすごいことだと思います。また、もう一つ申し上げますと、舞台の出だしが円環を描くように終わりから始まるんですね。「このままでいいのか、いけないのか」が全員によりリフレインされ、その声がだんだん大きくなってゆき、死体が累々とした状況にフォーティンブラスが出てきて、何が起きたんだって問いかけ、そこでホレイショーがこれから全てをお話ししましょうという、まさしくそこから始まってゆくんです。そして最後にそれがもう一度出てくるっていう円環を描く形が、とても見事だったなと思います。あともう一つ、『ハムレット』に関して伺いたいのが独白の処理なんですが、これって子どもに分かるのかなって思っていました。独白は七つもありますので。
山崎: 大体、シェイクスピアの独白って、1人がしゃべるっていうルールとしては、舞台上に誰もいなくて1人だけですよね。お客さまもちろんいらっしゃいますけど。独白っていうのは、登場人物は誰も聞いていないっていうことです。ですから、本当に本心っていうか、うそは一切しゃべってないし、独白の中にうそは一つもないのと、大体独白をしゃべる人は苦しんでる人です。楽しい人はあんまりいないですね。やっぱり悩んでいたり、苦しんでたりする人が独白をして、なぜ独白をするのかっていうと、要は自問自答の形になってます。だから、このままでいいのか、いけないのかとか、自分の生き方を自分に問うって形の独白のスタイルになってるんですよね。ですから、聞くほうと、アンサーを分けて他者が言ってもいいかなと思いついたわけです。だから、クロフォードがいたり人形がいたりして、1人の登場人物の悩んでいる右か左か、どっちがいいんだって悩んでるところを、君だったらどうどうするのっていうふうに問いただす、つまり独白をクエスチョンを出していくっていう形の掛け合いのせりふにすることで、掛け合いなんだけど、全て引っくるめて悩んでる人の頭の中なんだなっていう形にしてます。
冬木: せりふが適切な人物に分けて言われることで、そのせりふが余計はっきり聞こえてきて、こういうことを言いたんだなというのがより一層わかってきたように思います。また、子どもがどこまで深刻にこういうことをわかっているかどうか別にしても、子どもって驚くほどの想像力があって、大人だと論理的に考えてここ変じゃないかと思うところを、すっと想像力で飛び越えてしまうような気がしますが、そこを多分山崎さん、感性でわかっていらして、こういう手法を取られたのではないかなと思います。
本当はさっき楽屋で打ち合わせをしていまして、もっといろいろな『ジュリアス・シーザー』ですとか『尺には尺を』ですとか、『シンベリン』のお話も伺いたいと言いながら、申し訳ありません、そろそろ時間になってきてしまいました。最後に一つだけ伺いたいのが、子どもためのって銘打ったとき、何を一番大切になさって演出なさいましたか?
山崎: 僕の中では、子どもも大人も一つのお客さまっていう感覚です。だから、子ども用にっていう形の演技は、僕は一切ないと思います。子ども用の演技ってのはないです。じゃあ、子ども用の台本っていうものはというと、僕がそれを意識してるのは台本作ってるときだけです。ですから、わかりやすいっていうか、理解しやすいような形にしたいと。要は、全て台本をつくるときに意識してるだけです。現実的に台本っていうのは、読み物として今はちゃんと読んでらっしゃる方もいますけど、本来は芝居をつくる設計図なので、そこを一番大切にというか、これだったら理解できるっていう形の部分として、一番大切に考えて作ってるところですね。
冬木: 実際、舞台を拝見させていただくと、研究者がいろいろ研究してきたときのよくわからなかった雲がすっと晴れてゆくよ